記録的猛暑の七月が終わろうとする晩。
日が沈んでも一向に気温は下がらず、聴衆でぎっしり詰まった畳の上を首の廻らない扇風機が温い空気をかきまぜるなか、レクチャーは始まりました。
「ばらばらなものがいっしょにいる
いっしょにいるはずがばらばらだ」
まず、多元的であること、というレクチャーのテーマが、ひらがなに置き換えられて画面に示されます。
ぐっとイメージが広がったものの、まだまだ長田さんの真意がつかめません。
それは、アンリ・マティスのロザリオ教会や、彫刻家ジョン・チェンバレンの作品を辿りながら、徐々に明らかにされました。
マティスが壁画を描くのに用いた長い筆。
新しい表現に求められる、新しい手法。その手法を探るやり方は、まさに建築とパラレルであると長田さんは言います。
また、チェンバレンの作品に織り込まれている「時間」の存在について。潰された自動車が鑑賞者の視線に出会ったとき、そこには過去の姿がバラバラに想起されるのです。
2009年、石川県能美市に竣工した「Yo」は、そのような長田さんの関心が現れています。
斜面を含んだ700平米敷地にそっと置かれたこの平屋の住宅は、一つ一つのセルが独立しつつも、同時にゆるやかにつながるような空間が出現しています。
「多元的」であることは、更に外部と内部の関係にも求められました。
施主である吉田さんは金属加工会社を経営されており、外部の風景を映し出すステンレスのパンチングメタルは、施主施工の形で実現されたそうです。
このパンチングメタルによってもたらされる、季節ごと・時間ごとに異なる風景、3度という絶妙な角度をもって構成された方形のボリューム、そしてその中を歩き回る人間。
これらの要素が織り交ぜられて、バラバラなように見えるセル同士の関係が、一瞬ごとに出来上がり、変化し、全体としての建物の印象をゆるやかに形作ります。
複数の共存しえないものが、同一性による担保に寄ることなしに、同時に成り立つこと、ひいてはそのような空間。
それは価値観が多様化し、皆がある意味での不自由さをかかえて暮らす現代の社会で、どうすれば互いに共存してゆけるのかという問いを、建築に置き換えた模索でもあったのです。
複雑なありようを明快に説く長田さんのレクチャーは、とても小気味よく、「多元的であること」というテーマは、単に建築という領域にとどまらない、広い社会に対峙しての構えであることに感銘を受けました。
また、「Yo」を見学させていただいた時に感じた、回遊している内部を歩き回るごとに、空間の印象がつぎつぎと折り重なっていくような感覚の理由がわかり、なるほどという思いでした。
(り)