町家の管理人レポート。
先週の日曜日、筑波大学貝島研とともに飛騨市種蔵に行ってきました。そのレポートです。
種蔵は飛騨の山麓にある12世帯の限界集落。板蔵がぽつぽつとそれぞれの畑に隣接して立っていて、山の斜面にそって棚田が続いている。集落はその下にあって住んでいる方は畑まで坂をのぼる。棚田をつくっている岩石は保温効果があるらしく、稲にとってはとても良いそう。板蔵は素朴に畑を見守っている。軒が深く、部材も大きい。その風景、棚田のこの生活とつながった蔵だからこそかわいく思える。
貝島研はそこにある看板のデザインをしている。普通の看板ではなくて、立体に風景を立ち上げ、棚田の風景がどの人がどんなマネージメントでどんな植生や田畑が生きているか分かるように。安藤研は蔵の調査を行っているらしい。
種蔵は山も木々も畑も家も、風景が生きていた。みんな丁寧に世話をしているのがとても伝わってくる。そばにお魚に山菜に、おいしい料理。愛着をもって手をかけてつくるものはみんなおいしいbyおじちゃん。若い人はほとんど住んでいないのだけど、おじいちゃんが楽しそうに田を耕し、おばあちゃんが笑って声をかける。斜面に沿ってあるから大型機械は入らないが、大きくなればなるほど大変になるからいらないって。だから種蔵の風景はみんな一生懸命手をかけて世話をしたもの。とても手作りの感じがあって、とてもいい風景。みんなが楽しく、みんなが農耕をして生きている。そこには「楽しさ・喜びdelightfulness」あるように感じた。ネガティブな思いはどこにも感じられない。それが種蔵に住んで生きること。
金沢のまち、町家に住んで生きること。種蔵で感じたことと同じように、僕が金沢のまちに住むことの「楽しさ・喜びdelightfulness」とはなんだろうと考える。仕事?友達?環境???まち、地域、人、町家と関わり、まちの風景に楽しく参加する。強制もしないし、まちもつくらない、ただ楽しく参加する。うまく言えないが、今のところの捉え方はそんなところだろうか。種蔵のdelightfulnessが、きっと僕がまちに住むことにもあるはずで、表現できるはずなんだと、帰りの電車にゆられながら思いました。
http://hida-tanekura.com/yado/index.php
(NN)