先週末に金沢市民芸術村で開かれた、全国町家再生交流会の発表会に参加した。京都、奈良などから、町家の保存活動を行なう人たちが参加していた。その内容と感想をレポートをしたい。
◯計画者≠実践者
取り上げられた議題は、年間約270件もの町家が壊されている金沢の町家の現状を打開すべく、どのように町家の所有者にアプローチするか、行政の支援政策、地域のキーパーソンをみつける、face
to faceの交流、町家の情報提供、不動産業界との提携の仕方などなど。各分科会の報告をまとめ、パネリストと会場での討論会となった。
考えてみるとそりゃそうだという言葉が並んだ。資源として町家のよさを伝え、どのように所有者と交流し、サポートするかといったところか。話を聞いていて気付いたことは、計画者は町家を維持・活用する実践者ではないことである。
◯町家の問題はまちの問題
町家は維持することが難しい。すぐにホコリは溜まる、庭には雑草が生える、隙間から風がはいって冬はとても寒い。建物の傷みも現代にものに比べれば、その周期は早いだろう。一人でこれらを維持してすごすことは、息苦しいし現代では到底難しい。高齢者ならなおさら難しい。
以前、町家には家族の生活の基盤があり、そこで仕事もしていた。そのなかで町家の形式も発展してきた。家族が全員で家を支えて来たのだと思う。現代になって、子どもは東京などの大都市に就職し、地元を離れる。手間のかからない便利な家が望まれ、取り壊して駐車場つきの新しい家をつくる。古い町家を継ぐ相続者もいない。使わない、壊れかかったものをそのままにしておくより、駐車場にしておいたほうが利益がある。どこにでもあるような問題だが、それが年間約270棟もの町家を取り壊している金沢の現状である。
そういった問題を踏まえた上で、町家希望者に情報を提供する仕組みだけではなく、町家の維持や持続的な活用の仕方に、現代においてどういった可能性を見出せるかにクリエイティビティを発揮する場が発生する。それが一歩すすんだ議論をうむだろうと思っていた。
もし、この会場にいる全員が町家に住めば、革新的に前に進むのではないだろうか。。。知られていない、使われていない町家を使えるようにして、現代のサイクルにのせてあげて、また次の世代に渡していけばいい。みんなで町家を維持する仕組みでもいい。自分たちにできる範囲で実践者になる。そういった活動の集積が、まちを楽しく変えていくのだと思う。
金沢には大きな美術館もあり、大学もあり、観光も盛り上がっており、また地域コミュニティも残っている。文化もある。高い技術をもった職人もいる。いろいろな人たちがいて、実践の仕方もそれぞれで、活用方法の可能性は十分にある。
◯まちづくり
討論のなかで町家を保存していくために所有者と交流し「おせっかいをしていく」という話も出た。
近年、全国でまちづくりを名目にいろいろな活動がされている。自分もいくつか活動してきたが、おせっかいだなぁと最近思うようになった。それは立場的な問題もあるのだが、自分たちがしたいことをできる範囲で、自分の範囲ですること。その結果、町の活性化や町家の保存につながっていければ、それはそれでよいのではないか?
僕はCAAK寺町の町家に住んで管理人をしているが、とりわけ町家の保存に積極的に活動している訳ではない。ただ、作業や食事を土間でやったり(通りからは丸見え)、打ち水をしたり、ホームパーティ(Lecture
& Party)を開いたり、勉強会を学生としたり、ひなまつりをまちに開いて開催してみたり、自分の範囲内で生活をまちに投げ出すようには心がけている。それがまた楽しいのだけど、そういう町家(または生活を)を楽しく使う視点もあるということを、まちの人にも気付いてもらえたらと思う。実践者になることができるなら、そういったおせっかいの気分も幾分解消される。
◯町家ドミトリー
金沢町家研で、学生たちに町家で共同生活をさせるプロジェクトが進行している。来年には新たな町家を改修し、そこで本格的に始めるらしい。イベントなども定期的に行なう。町家を活用する実践者の教育がそこで育まれていく、期待できる取り組みである。
サポートする役割、情報をまとめる役割も当然必要である。町家巡遊の取り組みは町家の良さを知るとても良い機会だと思う。今後も引き続き、金沢町家研究会の活動に期待したい。
(NN)
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